いじめの“理由”を考えることは、誰のためなのかーいじめを受けていた私が、いま考えていることー
こんにちは。
くれたけ心理相談室 青森支部 桑山です。
青森では雪が降ったり止んだり。
そんな中でも少しづつ日が長くなってきたな、と感じます。
さて、今回はあえて深い、触れにくいお話しをブログにします。
いじめ問題についてです。
※今まさに強い苦しさの中にいる方は、無理のないタイミングで読んでください。
不登校やいじめの話をするときに「加害者側の背景」に触れると、こんな声が聞こえることがあります。
なんで加害者を庇うの?
被害者の気持ちはどうなるの?
とても自然な疑問だと思います。
まず大前提として、これははっきり伝えたい。
被害者のつらさや傷つきが、最優先で守られるべきものです。
それは揺らぎません。
理解と容認はまったく別のものです。加害者の背景を考えることは「やったことを許す」ことでも「我慢しろと言う」ことでもありません。
いじめ問題を考える中で
・被害者が傷つけられた事実は消えない
・謝罪や距離、環境調整は必要
・被害者が安心して過ごせることが最優先
です。
そのうえで「なぜ起きたのか」を考えることは、同じことを繰り返さないための視点です。
被害者を守るためにも、加害行動を放置しない。加害者の背景に目を向けるのは、実は被害者を守るためでもあります。
理由が分からないまま「悪い子」と切り捨てられた加害者は、行動を変えるきっかけを失いやすい。
すると、
・別の場所で同じことが起きる
・別の誰かが傷つく
という連鎖が続いてしまいます。
根っこを見ない限り、被害は終わらない。
その現実があります。
被害者が「優しくならなくていい」
ここも大切なこと。
被害者が「相手の事情を理解しなきゃいけない」「許さなきゃいけない」
そんな必要は一切ありません。
怒っていい。
距離を取っていい。
許さなくてもいい。
理解する役割は、大人の仕事です。
子どもや被害者に、大人の視点や成熟を求める必要はありません。
子どもの問題は大人が引き受ける。被害者を守りながら加害者にも支援をする。
それは「どちらも大切にする」ことではなく、
【問題を大人が引き受ける】
という姿勢です。
誰かを悪者にして終わらせない。
でも、被害を曖昧にもさせない。
その両立があってこそ、子どもは安心して育っていけるのだと思います。
いじめを受けている側もいじめをしてしまっている側も。
わたしは置き去りにしません。
これは、過去にいじめを受けていた私が、いま思うことです。
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